第九番 興福寺 南円堂
西国巡礼者だけでなく、日々人々のお参りで賑わう。弘仁4年(813)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父 内麻呂(うちまろ)追善の為に建てた。基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかにされた。また鎮壇には弘法大師が係わったことが諸書に記される。不空羂索観音菩薩像を本尊とし法相六祖像、四天王像が安置されている。興福寺は藤原氏の氏寺であったが、藤原氏の中でも摂関家北家の力が強くなり、北家繁栄の礎となった南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めた。その不空羂索観音菩薩像が身にまとう鹿皮は、藤原氏の氏神春日社との関係で特に藤原氏の信仰を集めた。創建以来四度目の建物で、寛保元年(1789)に再建された。江戸時代の建物といっても、その手法はきわめて古様で、再建には北円堂を参考にしたのであろう。日本で最大の八角堂 毎年10月17日に特別開扉。
参詣ガイド 地図 大きな地図で見る
- 住所
- 〒630-8213 奈良市登大路町48
- 交通
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- 近鉄奈良駅下車徒歩5分
- 駐車場
- 有 (有料,バス8台・普通自動車67台)
- 拝観料
- 『興福寺国宝館』
大人 700円 (団体30名以上600円)
中高生 600円 (団体30名以上500円)
小学生 300円 (団体30名以上200円)
『東金堂』
大人 500円 (団体30名以上400円)
中高生 300円 (団体30名以上200円)
小学生 100円 (団体30名以上90円) - 拝観時間
- 外からのお参りは24時間
南円堂の開扉は10月17日のみ - 納経時間
- 9:00〜17:00
- 電話
- 0742-22-7755 (事務所), 0742-24-4920 (南円堂納経所)
- ウェブサイト
- http://www.kohfukuji.com
- ※拝観料等値上げのお知らせ 令和7年4月1日(火)より
二月節分 | 追儺会(鬼追式) |
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二月十五日 | 涅槃会 |
四月八日 | 仏生会 |
四月十七日 | 放生会 |
四月二十五日 | 文殊会 |
五月第三金・土曜日 | 薪御能(南大門跡) |
七月七日 | 弁才天供 |
十月第一土曜日 | 塔影能(東金堂前庭) |
十月十七日 | 南円堂大般若会 |
十一月十三日 | 慈恩会(宗祖忌) ※会場は薬師寺と隔年交替 |
興福寺の歴史
天智天皇8年(669)に藤原鎌足が造立した釈迦三尊像を安置する為に、夫人の鏡女王が京都山科の私邸に建てた「山階寺(やましなでら)」を始まりとする。その後飛鳥廐坂の地に移し「廐坂(うまやさか)寺」と称した。
都が平城京へ移されるに及んで、平城京左京三条七坊のこの地に移し「興福寺」と改号し、創建の年を和銅3年(710)とする。その後天皇や皇后、また藤原氏の人々の手によって次々に堂塔が建てられ整備された。奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられた。
特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんになった。
平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになった。
鎌倉・室町時代には幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任にあたった。
幕府による宗教政策が厳しかった江戸時代には21000石余の朱印が与えられた。
明治時代初めの神仏分離令・廃仏毀釈・社寺上地令などで興福寺は荒れたが、その後の努力で復興し、新しい興福寺の歴史を刻んでいる。
札所一覧
- 第一番 青岸渡寺
- 第二番 金剛宝寺
- 第三番 粉河寺
- 第四番 施福寺
- 第五番 葛井寺
- 第六番 南法華寺
- 第七番 岡寺
- 第八番 長谷寺
- 第九番 南円堂
- 第十番 三室戸寺
- 第十一番 上醍醐 准胝堂
- 第十二番 正法寺
- 第十三番 石山寺
- 第十四番 三井寺
- 第十五番 今熊野観音寺
- 第十六番 清水寺
- 第十七番 六波羅蜜寺
- 第十八番 六角堂 頂法寺
- 第十九番 革堂 行願寺
- 第二十番 善峯寺
- 第二十一番 穴太寺
- 第二十二番 総持寺
- 第二十三番 勝尾寺
- 第二十四番 中山寺
- 第二十五番 播州清水寺
- 第二十六番 一乗寺
- 第二十七番 圓教寺
- 第二十八番 成相寺
- 第二十九番 松尾寺
- 第三十番 宝厳寺
- 第三十一番 長命寺
- 第三十二番 観音正寺
- 第三十三番 華厳寺